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聖ペテロの使徒座                              祝日  2月 21日


 およそ座には三種類のものがある。第一に、王たる尊厳の座である。「ダビデは、座についていた」と書かれている座のことである。第二は、司祭たる尊厳の座である。 「そのとき、祭司エリは、座にすわっていた」と書かれている座である。第三は、教師の座である。「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている」と書かれている座のことである。聖ベテロは、これらすべての座をしめていた。第一の座は、彼がこの世のすべての王たちの王であったから、第二の座は、役がすべての司祭たちのうえに立つ牧者であったから、第三の座は、彼が全キリスト教徒の教師であったからしめていたのである。                           
 教会は、聖べテロが教座を定めた日を祝日として祝う。なぜなら、記録に残っているように、この日聖ペテロは、非常な栄誉をもってアンティオケイアの司教座につけられたからである。この祝日が設けられた理由は、四つある。第一の理由は、こうである。聖ペテロがアンティオケイアとその周辺で説教していたとき、アンティオケイアの市長テオピロスは、「ぺテロよ、なぜわたしの人民をまちがった道にみちびくのか」とたずねた。べテロがキリストのことを説くと、テオピロスは、彼をしばって投獄し、食べものも飲みものもあたえてはならぬと命じた。べテロは、死に瀕した。そこで、彼は、もう一度全力をふりしぼり、眼を天にむけて言った。「イエズス・キリストさま、すべてのあわれな人間の救難者よ、どうかこの悲嘆のなかで滅びてしまわないようにわたしをお助けください」すると、主は、答えてこう言われた。「ペテロよ、わたしがあなたを見棄てたとおもっているのか。わたしのことをそんなふうにおもうのであれば、あなたは、わたしの慈悲に泥をぬっていることになります。あなたを助ける者がつねに近くにいることを知りなさい」聖パウロは、聖ペテロが捕らえられたことを聞いた。それで、テオピロスのところにのりこんで、自分はあらゆる技術の大家であって、木材や板に彫刻をしたり天幕に絵をかいたり、そのほかいろんなことにすぐれた腕をもっていると売りこんだ。まんまとひっかかったテオピロスは、自分のおかかえになって、この官邸に住むようにと、パウロを熱心にくどいた。数日後、聖パウロは、ひそかに聖ぺテロがとじこめられている牢に行き、べテロが衰弱しきって死にかかっているのを見た。そこでパウロは、はげしく泣き、大きな悲しみをおぼえながらペテロを抱擁し、こう言った。「おお、ペテロよ、親愛なる兄弟よ、わたしの名誉であり喜びである人よ、わたしのた
ましいの片われよ、わたしが来たのですから、元気をとりもどしてください」聖ペテロは、眼をあげてバウロだとわかり、おなじように泣いた。しかし、すっかり弱りはてていたので、口をきくことはできなかった。パウロは、べテロの口に食べものを流しこんでやったが、ペテロは、口をあけるのもやっとのことであった。しかし、その食べもののおかげで元気をとりもどすと、パウロの腕のなかに身を投じた。ふたりは、たがいに涙をながしあった。そのあと、聖パウロは、こっそりと牢から出て、テオビロスのところに行ってこう言った。「テオピロス閣下、あなたの名声とみやびな生活ぶりは、じつに見あげたもので、あなたの栄誉にふさわしいものです。しかし、これはどの美点も、ちょっとした汚点のために台なしになってしまいます。あなたがまるで立派なことででもあるかのようにべテロという名のあの神のしもべになされた仕打ちを思いだしてごらんなさい。と申しますのは、あのペテロは、身なりも粗末で、からだつきもみにくく、やせこけ、貧弱ですが、彼の説教だけは、たいへん高貴だからです。どうしてそんな人物を投欲するようなことをなさったのですか。自由の身にしてやれば、あなたのお役にたつ人物です。なんでも、わたしが聞きましたところでは、彼は、病人を治し、死人もよみがえらせたと言いますから」テオピロスは答えた。あなたが言うことは、つくり話にすぎん。というのは、もしあの男が死人をも生きかえらせることができるのであれば、自分の縛めを解くことぐらいできたはずではないか」パウロは言った。彼らの神キリストは、死から復活したけれども、十字架からは逃れようとはしなかったと聞いております。ですから、ひょっとしたら、あのペテロも、牢をぬけだしたりはしないで、彼の信じるキリストのために苦しみに耐えているのかもしれません」それにたいして、テオビロスは言った。彼のところへ行って、十四年まえに死んだわたしの息子を生きかえらせてくれるように言いなさい。そうしてくれたなら、彼を釈放しよう」パウロは、牢に行って、市長の息子を生きかえらせる約束をしてきたとペテロに話した。ペテロは答えた。「パウロよ、あなたは、むずかしいことを約束してきました。しかし、神のおん力にとっては造作もないことです」そこで、人びとは、ペテロを牢から出して、墓をあけた。聖ペテロは一心に祈った。すると、少年は、死からよみがえった。

 以上の話が、なにからなにまで信用できるとはおもえない。聖パウロ。がこのような世故にたけた略を弄し、絵描きや彫刻の腕前を売りものにして相手をぺてんにかけたとは考えられないし、少年が死後十四年というのもだんだんに誇張されてきたもののようにおもえるからである。

 さて、テオピロスをはじめとするアンティオケイアのすべての市民たち、さらにその他の多くの人びとも、キリスト教を信仰するようになった。そして、美しい教会を建てて、すべての人びとが聖べテロの姿を見、その説教を開くことができるように教会のなかに高い座を設け、そこにべテロをすわらせた。彼は、威厳と敬意とのうちに七年間その座についていた。その後、ローマにおもむき、ローマの教座に二十五年間ついていた。しかし、教会は、アンィオケイアで高座につけられた記念だけを祝う。なぜならば、当時教会の指導者たちは、まず最初に座と権能と名称とを高められたからである。このとき、『詩篇』に彼らは、民の集まりにおいて彼を高め、長老たちの座において彼をたたえるであろう」と書かれていたことが成就したのである。
 
 ここで留意しなくてはならないのは、聖ペテロが高い座につけられた教会に三つの種類があるということである。戦士たちの教会と悪者たちの教会と勝利者たちの教会とである。彼は、それらのどの教会においても高座につけられたので、教会は、年に三度彼の祝日を祝うのである。第一に、彼は、戦士たちの教会において高座につけられた。彼は、戦士たちの王であり、精神と信仰と徳とにおいて彼らを立派に統治したのであ。今日祝われるのが、その祝日であり、聖ペテロが教座を制定した日とよばれ。この日彼がアンティオケイアの司教の権能の座に高められ、以後七年間そこで立派に教会を統治したからである。第二に、彼は、悪者たちの教会においても高められた。彼自身が悪者たちの教会を破壊し、彼らをキリスト信仰へと改宗させたからである。われわれは、これを聖べテロの鎖の記念日に祝う。この日、彼は、悪者たちの教会を破壊し、多くの人びとをキリスト信仰こ改宗させ
たからである。第三に、彼は、勝利者たちの教会においても高座につけられた。なぜなら、彼は、天の至福にあずかり、勝利者たちの教会に入ったからである。われわれは、これを彼が殉教した日に祝う。この日、彼は、至福の人たちの仲間に高められたからである。われわれが聖ペテロの日を年に三度祝うのには、ほかにいくつかの理由がある。              軒
 第一の理由は、彼は、三つの点で他の聖人たちにまさるものを特別に賦与されていたことである。教会が年に三度彼の祝日を祝うのは、そのためである。彼は、使徒たちの王であり、天国への鍵をさずかっていたから、他の聖人たちよりも高い尊厳をもっていた。また、彼は、キリストにたいして他の聖人たちよりも大きな愛をもっていた。それについては、福音書に多くのことが書きのこされている。また、彼は、力という点においても他の聖人たちより聖寵に恵まれていた。その証拠に、彼があたえた影は、病人たちを健康にしたからである。これについては、『使徒行伝』に書かれている。
 第二の理由は、彼が全キリスト教界の最高位の聖職にあったことである。というのは、教会がアジアとアフリカとヨーロッパという三つの大陸に拡大したとき、聖ペテロは、それらすべてのうえに立つ最高位の聖職者であったからである。だから、われわれは、年に三度彼の祝日を祝うのである。
 第三の理由は、彼がわれわれにほどこしてくれる大きな慈愛のわざである。なぜならば、彼は、繋ぎまた釈く権能をさずけられていたからである。つまり、彼はわれわれが、想念と言葉と行為とにおいておかす三種類の罪、あるいは神と隣人とにたいしておかす三通りの罪をまぬがれるようにわれわれを助けてくれるのである。罪人が教会において鍵の権能によってさずけられる恩恵も、三様である。すなわち、贖宥の告知、永劫の罰を有限の罰に変えること、および有限の罰の一部を赦すことの三つである。聖べテロは、この三つの恩恵のためにも三度うやまわれるのである。
 第四に、われわれは、三つのことのために彼にたいへん負債がある。というのは、彼は、言葉と範例と現世での助けもしくは代願の力でもってわれわれを食べさせ、牧養しているからである。われわれは、このためにも彼を三度うやまわなくてはならない。
 第五に、彼の範例のためである。というのは、彼は、どのような罪人も絶望させないからである。罪人は、べテロのょうに神を三度否定するばあいでさえ、やはりべテロのようにこころと口と行ないでもってふたたび神の信仰を告白しようとするのである。

 今日の祝日を祝う第二の理由は、『クレンソスの流行記録に出ている。それによると、ペテロは、神の言葉を説いていた。そして、アンティオケイアの近くまできたとき、人びとは、粗毛の衣服をまとい、素足で市門の外まで出て彼を迎えた。人びとは、頭に灰をまいていた。そして、彼らが魔街師シモンとともに聖ペテロの教えに反する生きかたをしてきたことにたいして、慈悲を乞うた。ペテロは、彼らの悔悟を見て、神に感謝をささげた。人びとは、すべての病人と悪霊にとりつかれているすべての人たちをペテロのもとにつれてきた。ペテロは、足もとに彼らを寝かせて、一心不乱に神に祈った。すると、一条の巨大な光があらわれ、人びとは、のこらず健康になった。彼らは、べテロのあとを追い、その足跡に接吻した。こうして、七日間に一万人以上の人びとが洗礼を受けた。市長のテ
オピロスは、自分の家を教会として献納し、すべての人たちがペテロの姿を見、説教を聞くことができるように、そこにペテロのために高い座を設けたのだった。 この話は、まえに述べたことと矛盾しない。ペテロがパウロの助力によってテオピロスと町じゅうの人びとから敬意をもって受け入れられたというのは、おそらく実際に起こったことなのであろう。しかし、その後べテロがこの地をはなれると、魔術師シモンがやってきて、人びとを邪道にみちびき、聖ペテロから離反するようにそそのかした。こうして、人びとは、ふたたび贖罪をし、大きな敬意をもってペテロを迎え入れたのであろう。

 べテロが教座を定めた日は、またべテロ供膳の日ともよばれる。これが、今日の祝日が設けられた第三の理由である。ヨハネス・ベレトが書いている由来記によれば、異教徒たちは、二月の一定の日に祖先の墓に食物をそなえるのが昔からの習慣であった。そなえられたご馳走は、その夜のうちに悪霊たちが腹におさめてしまうのだが、異教徒たちは、墓のまわりをうろついている人魂が食べるのだと信じていた。もっとも、彼らは、人魂のことを影とよんでいた。というのは、昔の人びとの習慣によれば、まだ身体にやどっているたましいだけがたましいとよばれ、地獄に行ったたましいは亡霊、天国に行ったたましいは霊とよばれ、死んでから日が浅く、まだ墓のあたりをうろついているたましいが影とよばれたのである。死者にご馳走をそなえるこの習慣は、キリスト教徒のあいだ
でも根絶されえなかった。初期教皇たちは、これを見て、この祭りのかわりに聖べテロがローマとアンティオケイアに教座を定めた祝日を設けた。こうして、かつては死者にご馳走をそなえる日として祝われた今日の祝日をいまでもペテロ供膳の日とよぷ人びとがいるのである。
 第四に、この祝日は、司祭の冠をうやまうために設けられた。というのは、ある人びとが書いているように、司祭の中剃りは、この日に始まったことが知られているからである。聖ペテロがアンティオケイアで説教していたとき、人びとがキリストの聖名を侮辱し嘲笑するために彼の頭のてっべんの髪を切り落としたことがあった。以後、すべての司祭が中剃りするようになり、キリストの聖名のゆえに使徒たちの王者にたいして侮辱としてなされたことが、すべての司祭にたいして栄誉のしるしとしてなされることになったのである。この司祭の冠そのものについては、三つのことに留意しなくてはならない。頭を剃ること、まわりの髪を短く切ること、中剃りを円形にすることの三点についてである。頭のてっべんを剃るのは、三つの理由からである。そのうちのふたつは、デイオニュシウスが『教会の階層について』のなかで書いている。それによると、髪を剃るのは、清潔であるが不恰好な生活をあらわしている。というのは、剃髪すると、清潔さの維持、不恰好および素裸という三つの結果が生じるからである。髪を長くしていると、どうしても頭に不潔なものがたまるから、剃髪は、清潔さを保ってくれる。髪の毛は、人間の飾りであるから、これを剃るのは、なんと言っても不恰好、不体裁である。したがって、中剃りは、清潔であるが不恰好な生活のしるしとなる。なぜならば、司祭は、内面において思念の純潔を保持し、外面において、不恰好な生活、いっさいの虚飾を排した生活をしなければならないからである。また、素裸は、司祭と神とのあいだに介在物があってはならず、司祭は直接的に神と合一し、神の栄光をヴエールなしに見ることができなくてはならぬということの
しるしである。また、残りの髪の毛を短く切らなくてはならないのは、司祭たる者はそのこころからあらゆる余計な想念を切り落とさねばならず、その耳をつねに神の言葉を聞くために準備し、開いておかねばならないということ、つまり生命の維持に必要なもの以外はすべての現世のものをことごとくしりぞけなくてはならないということを銘記するためである。中剃りが円形であるのほ、いろいろな理由による。第一に、円形には端緒も末端もないように、司祭が仕える主もまた端緒も終末ももたれぬことのしるしである。第二に、円形には角がないからである。それは、司祭の生活にはいかなる不純で不潔なものもあってはならぬということを意味している。「というのは、角のあるところには不純さがあるからである」と聖ベルナルドゥスも言っている。また、それは、司祭はその教えにおい
て真実であらねばならぬことを意味する。「真実は角を好まない」とは、聖ヒエロ二ュムスの言葉である。第三に、神が星辰を円形におつくりになったことからもわかるように、円形はあらゆる図形のなかで最も美しいものだからである。つまり、それは、司祭たる者はそのこころに内面の美しさを、その品行に外的な美しさをもたねばならぬということを意味している。第四に、円形は、あらゆる図形のなかで最も単純素朴なものだからである。というのは、アウグステイヌスが言っているように、ただ一本の線でかこまれる円形をのぞいて、どのような図形も、一本の線だけでは形づくれないからである。つまり、中剃りが単純素朴な円形であるのは、「鳩のように素直であれ」と書かれているように、司祭は鳩の素直さ、素朴さをもたねばならないことを意味している。